50才から資産運用を始めた訳
初めまして。
本サイトを運営している初心者投資家ベレンです。
1973年5月生まれ。
現時点(2023年)で50才になった。
30才になった時も、40才になった時も、そして50才になった今も、
その度に、自分の「精神年齢」と「実年齢」の違いの大きさにビックリしている。(゚д゚)!
頭でわかっていても、気持ちがついていかないって感じ。
気持ちは20代。いや、それはちょっと言い過ぎ。30代くらい。
でも体は確実に老いていっている・・・
おそらく誰もが同じように感じるものなのでしょうが。
50才の私の人生を振り返ってみる
まずは、これまでの私の半世を簡単に振り返ってみよう。
生まれてから~19才
警察官の父、専業主婦の母のもと、ありがたいことになんの不自由もなく過す。
学業成績はまあまあ。
スポーツは、小・中学生は野球、高校生はバドミントン。
いたってどこにでもいる平々凡々の育ちです。
あえてちょっと変わった点といえば、父の仕事の関係で転校が多かった。中学時代は3学年とも違う学校だった。
今振り返ると、この転校経験はプラスになっていることが多い気がする。
新しい世界に飛び込むことにあまり躊躇しない性格になって、本来人見知りな性格だが、表面はわりと社交的にコミュニケーションをとれるようになったと思う。
一方で、少し人間関係を希薄に捉えるようになっているかも。
強く記憶に残っていることといえば、男子校の高校時代に文化祭委員を3年やって「モノづくり」の楽しさを味わったこと。
共同開催する女子校との合同準備が楽しそうが理由で始めた委員会だったが、毎年、半年かけて準備し、文化祭を成功に導く快感はとても心地よかった。
映画作りなんてこんな感じじゃないのかなぁとふと思って、将来そんなのに携われたらなぁとふと思った(まったく実現しなかったが・・・)
19~23才
なんとしても東京に行きたいという理由だけで、自分の学力で行けそうな東京の大学に入学。
そんな理由だから、大学生活が始まったら、大学にほとんど行かず、バイト・バイク旅行・徹夜麻雀に明け暮れる。
案の定、一年目で留年。結局5年間で卒業した。
東京に来てなんのバイトをしようと思った時、ふと高校時代の文化祭委員のことを思い出して見つけたのが大道具のバイト。
学生生活のほとんどは大道具のバイトとその仲間との時間にあけくれた。
夜、現場(各テレビ局や東京に点在するスタジオ)に入って、セットを作ったりバラシたり。その後、その大道具仲間と麻雀ってな感じ。
年3~4回、テントをバイクに積んで1~2ヶ月の長期旅行。
大道具仲間と行くこともあったが、一人で行くことの方が多かった。一応、日本全国行ってみた。海外も数カ国行ってみた。
その大道具仲間とは30年たった今でも定期的に飲む仲間となった。
23~26才
大学の同級生が院進や就職に勤しんでいる中、日本を出たいとの思いにかられる。
この時は、あんなに憧れていた東京に飽きて、日本を出て外の世界を見てみたいとの思いで一心だった。
今から思えば、東京は日本の中心であり、全国から人が集まり、いろいろな世界が多層に渡って存在し、自分のレベルに応じて、出会う人も出会う世界も違う、懐の深い町なのだけど、その時はそんなことも分からず、単に東京に退屈していた。
兎にも角にも日本を出たいと思っていたが、学生という身分がない以上、働きながら海外に行く方法はないか探しまくった。
そして見つかったのがブラジルだった。
なんでブラジルかとよく言われるが、サッカー選手になりたいと思ったわけでも、アマゾンに憧れていたわけでも、サンバを踊りたかったわけでもない。
ただただ、働きながら海外に行けるところを探していたら、たまたま日本の真反対のブラジルだった。
ブラジルでは、赤道直下のパラ州ベレン市の合板製造会社の植林地で働いた。
1年生活したが、何もかもが新鮮で楽しかった。
この時のことを書き出したら、あまりにも多すぎるのでここでは省略。また別の機会に書き記そうと思う。
その後、ブラジル関連のNGO(非政府組織)で3年程働く。
NGO(nongovernmental organization)とは、簡単にいえば「国際協力に携わる民間人や民間団体のつくる組織」で、私が所属していたNGOは、主に日本の助成金をもらって、ブラジル国内で、小農民の自立支援やアマゾン環境保全などのプロジェクトを行っていた。
4つのプロジェクトに携わっていたが、その中に、ブラジル小農民の自立支援を協力するプロジェクトあり、無農薬栽培のコーヒーを日本で販売することに携わった。
無農薬栽培というと聞こえは良いが、単にお金が足りなくて農薬が使えなかった。だが、その時代、世界的にオーガニックはちょっとしたブームだったので、それも後押しになった。
ブラジル小農民の自立支援というストーリーをバックにした商品はそこそこ販売することができた。
26~34才
考えて行動した成果が数字で見えるという営利活動はとても面白く、やりがいがあった。
そこで、後先考えず、NGOをやめて個人事業を始めた。
すぐに、高校時代の同級生も合流して法人(有限会社)を設立した。
といっても、無計画だったので、当初は、夜、キャバクラで働いて生活費を稼ぎ、昼間、事業活動といった感じ。
この時出会った、キャバクラの社長は今でも尊敬し、交流させてもらっている。
本業の方だが、事業はまったく意図もしてなかったDTP(デザイン・印刷)事業を行った。
最終的に3店舗展開したが、残念ながら生涯かけてやりたいことではなかったので、買い手が運良く見つかって事業を売却。
34~40才
またもや後先考えずにDTP事業を売却したものの、次にやりたいことがあったわけではない。
どうしようかと考えている中で、これまで手探りの中、我流で会社を経営してきたが、その経験を活かしつつ、一度体系的に経営を勉強してみたいとの思いに至った。
そして運良く経営コンサルティング会社に入ることができた。
ちょっと自慢になってしまうが、現在プライム市場(旧東証一部)に上場している立派な国内独立系コンサルティング会社で、とてもとても勉強になったし、良い経験をたくさんさせてもらった。
今でもその時の同僚とは交流があり、刺激をもらっている。
入社当初、長くても40才までと決めて入ったものの、あまりにも楽しくてあっというまに40才になってしまった。
コンサルティング業務は、非常に個人裁量の幅が広く、イメージしていたサラリーマン像とはかけ離れていて、日々新たな局面を迎え、常に新鮮で充実していたが、これを人生とするのはイメージができなかった。
後ろ髪を引かれつつも、ここで新たな一歩を踏み出さないと、このまま続けてしまうとの思いから予定の40才を10ヶ月程オーバーした時に退職。
40~50才
休眠状態にしていた会社を復活させて、創業当初からのパートナー(高校時代の同級生)とBtoCのEC事業を開始。
ITには疎かったが、手探りで進めていく中、すごく遅ればせながらインターネットのパワーと可能性を実感。
打った手と成果が細かく数字という結果で見れる世界は、とても自分と相性が良かったし、やりがいがあった。
試行錯誤の毎日だったが、自分なりに納得いく事業に成長した。
そんな中、成長の過程で、パートナーと将来の会社のあり方を話し合ってきた。
事業の方向性という話でなく、我々二人の将来の会社との付き合い方という点が主だった。
そして、50才という区切りの段階で、近い将来の事業承継を踏まえて、パートナーに事業を譲渡した。
パートナーとは、高校時代から数えると34年、会社創業から数えると約25年のつきあい。
創業当初、自宅兼事務所での同居生活から始まって、喜怒哀楽を共有して、一緒にここまで歩んできた。
一つ、大きな区切りとしたが、今でも共通の趣味である「将棋」の話を楽しくする仲である。
特に今は、藤井聡太君という史上最強の天才(と我々は思っている(笑))の話でもちきりだ。
50才~ これから
そして今、2023年、50才。
一応、新しい箱(法人)は設立したが、中身(やりたい事業)は模索中。
多少あせりもあるが、気負わず、ゆっくり、中身を詰めていこうと思っている。
50才になって、今までに感じたことがなかった感情
50才になって、これまでには感じなかった感覚が生まれた。
これまで「生あるもの必ず終わり(死)がある」と頭でわかっていても、
どこか他人ごとのような感覚で、永遠に続くものと感じていた。
そして、昨日よりも今日、今日よりも明日、という明るい未来に期待を寄せ、励みにしてきた。
ところが50才になった時、ふと思った。
日本人男性の平均寿命が80才くらい。
となると、あと30年くらいか。
あれ?
30年前って昨日のように思い出す。
これまでの30年間って、いろいろあったけど、あっという間だった!
ということは、これからの30年もあっという間なんじゃない?!?
そう。
これまで永遠に続くと感じていた「生」に対して、初めて「カウントダウン」を感じたのだった。
なんだかこれまでに感じたことのない、変な感覚。
虚無感、焦燥感、不安感、失望感、孤独感・・・
これらが入り混じった、なんとも言葉に表現しにくい感情だ。
属に言う「更年期障害」なのか?
しばらくはだいぶテンションが落ちた。
なんだか虚しくて・・・
そんな時、あるエピソードを耳にした。
ある30代の日本人若者がカナダに語学留学をしていました。
その語学学校に、なんと80才を過ぎた日本人老人が生徒としていました。
その若者は不思議に思って聞きました。
「なんでそんなに高齢になってから英語を勉強しようと思ったのですか?」
その老人はこう答えました。
「昨年、長く連れ添った妻が亡くなりました。
生前、妻は、英語を勉強して世界中を見て回りたい、といつも言っていました。
でも、私は、いつかね、いつかね、といって、その夢を叶えてあげることができませんでした。
そして、先立たれてしまいました。
妻が亡くなって喪失感の中、そのことを後悔するようになりました。
そして、次第にこう思うようになったのです。
妻が見てみたかった景色はどんなだったのだろう?
妻の代わりに私が見てやることはできないだろうか?
そうして、外国に行ったこともなかった私はここに来ました。」
なんだか元気をもらっちゃいました。
外国に一度も行ったことがなかった80才を過ぎた方が、海外の語学学校を調べて、パスポートを取得して、飛行機を予約して、住むところを調べて、何かあった時のために身の周りを整理をして・・・
とてもとても大変だったでしょう。
けれども、「大切な奥様のために世界を見せてやりたい」との一心の思いで突き進んでいるのでしょう。
とても元気をもらった私は、こらかの人生をどのように過ごすかを考えるようになったのでした。
私にとって「人生の心を満たす3つのポイント」
人生の心を満たすポイントは人それぞれ、千差万別だと思う。
私の心に響いて、こうありたい(自分に不足していることも含む)と心から思うポイントは次の3つ。
- 没頭
時間を忘れるぐらい集中している状態 - 遊び心
結果をあまり気にせずに、ただ楽しむために何かをするというフットワークが軽い心 - 繋がり
誰かと特別な経験を共有する感覚
没頭
過去を振り返ると、何かに没頭している時って「あー充実しているなぁー」と思う瞬間だった。
マルチタスク(複数の作業を並行して行うこと)がとても苦手な私だが、逆に一つに集中して没頭する能力は平均以上だと客観的に思う。
これは私の長所だと思う。
ただ、それには2つの短所がある。
1つには、没頭から抜けた時、再度没頭するのに時間がかかり、結局はムラがある。
もう1つが重大な短所で、人生をかけた長期的な「没頭する(夢中になる)テーマ」が見つかっていない。
人生を通した「没頭する(夢中になる)テーマ」は、なかなか見つからないもので、多くの方が同じではないだろうか。
私からすると、見つかっている人がとても羨ましい。
今後、そんな人生の「没頭する(夢中になる)テーマ」が見つかるかどうかはわからないが、少なくとも短期間でも没頭できること(夢中になれること)に取り組み続けたい。
遊び心
私のこれまでの生き方は、これが多分に不足していたと思う。
常に、行動と成果(結果)をペアで考えてきた。
性格からして、行動と成果を完全に切り離して考えるのは難しいのだろうけど、極力自分に言い聞かせて、あえてムダを楽しめるような行動もしていきたい。
それに合わせて「楽観的」になれるよう自分に言い聞かせたい。
「楽観的」とは「ものごとがうまくいくだろうと考え、明るい見通しを持つ」こと。
コンサル時代に、「経営は、悲観的に計画し、楽観的に行動するべき」と教わった。
言うは易し、行うは難し。
経験的に、悲観的思考と楽観的思考を併せ持つ人はなかなかいない。
でもそれができたら強いと思うし、人生を謳歌できる可能性がすごく上がると思う。
特に楽観的思考の行動は、運を引き込む力が強い気がする。
私は悲観的思考(よく言えば計画的)が強いから、楽観的思考をより自分に言い聞かせる必要があるだろう。
繋がり
これまで、人との繋がりは、わりとドライに生きてきた。
人として、根本的に価値観が自分と違う人とは、距離を置き、疎遠となってきた。
良い言い方をすれば八方美人では”ない”のだが、人間関係に黒白をつけ過ぎてきた感がある。
もう少し柔軟にグラデーションを受け入れる必要があるのではと思っている。
最近知って感銘を受けた言葉に「チャンスは人からやってくる」という言葉ある。
自らチャンスを生み出すことは難しく、
いろいろな人と話し、支え支えられ、刺激をもらう中から、チャンスは生まれるものなのだと思う。
だから、自分の場合は心の余白をもっと増やして、許容範囲を広げ、人との繋がりをもっと大切にした方が良いのではと思っている。
この3つのどれか(もしくは複数)が当てはまることで、今後の人生の時間を埋めていきたい。
自分の棚卸し ~今後の人生を充実できそうなテーマ候補~
これまで記述してきたようなことをベースにして、50才の今、今後の人生を満喫できそうなテーマ候補を棚卸ししてみた。
実現させるか、実現できるか、それともほっとくか、は今は未定な上、心の中を言葉にするのは少し恥ずかしい気もするが、自分の備忘録と思って記録しておこう。
- 海外での生活
既にタイで飲食店を経営している大道具の友人に合流しての飲食店経営と海外生活 - 劇団運営
役者をやっている仲間との劇団の運営 - 資産運用
IPOを中心に資産を形成した友人に触発されて資産運用 - 将棋情報サイト運営
好きな将棋の情報をまとめて発信していくサイト運営 - 慈善事業
何か社会・人のために頑張ってみたい。誰のために何をは全くわからないが・・・
これらが自分を長く夢中にさせることなのかどうかはわかない。
また、この内容は今後も変化していくと思う。
その辺は常に余白をもって、柔軟に生きていきたい。
そして、とりあえず、思いついた中で、できることから行動しよう。
いつでも修正できるのだから。
そういうことで、今(2023年)着手しているのが、「劇団運営」と「資産運用」なのである。
いつまでやりたいと思っているかは自分でもわからない。
よっていつやめるかもしれないのであしからず。
本サイトについて
本サイトを立ち上げた理由
資産運用をスタートして2ヶ月が過ぎた。(2023年7月時点)
今のところ、新しい知識や日々変化する運用資産額に一喜一憂、刺激をもらって楽しんでいる。
この楽しんでいる運用あしあとや、新たな知識・情報をまとめておこうと思い、このサイトを立ち上げるに至った。
基本、自分が楽しむためのサイトだが、もし参考にしたり、楽しんでもらえる読者がいるようであれば、一石二鳥でなによりである。
本サイトの内容について
以上の理由で始まったのが本サイト「50才からの資産運用」である。
前述したように、基本自分が楽しむサイトなので、自分にとっての備忘録的な投資知識・情報なども記載しており、万人にとって有益な情報ばかりではない。
また、あくまでも投資は自己責任なので、ここでの情報を鵜呑みにして、失敗されても一切責任は負えないのであしからず。
ただし、情報の共有や提案は大歓迎!
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いつまで続くかも分からないこんなサイトですが、よろしくお願いいたします!m(_ _)m
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